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打撃マンは思想だ

山本康人さんの『打撃マン』

紙のコミックスを買おうかと本気で考えているくらい好き。あと鉄人ガンマと内線893、超人ウタダもいい。

打撃マンは、世の中の理不尽に打撃を加えて解決するっていう超プリミティブな漫画。文字通りの鉄拳制裁。

パワーですべての理不尽や不条理をねじ伏せていくスタイル、見ている分にはカタルシスを感じられて非常によろしいです。

だしゃあっ!!の掛け声で小悪党をぶん殴ったら解決、むちゃくちゃ過ぎて気持ちがいいんだよ。

 

自分の好きなものをきちんと好きでいること

それって案外難しいことなのかもしれないなと思った。

素直に好きと言えばいいのに、年齢やら性別やら立場やらで「好き」と言えない、もしくは「いやー、自分はこんなもの好きでもないし、やめたいんだけど、なかなかやめるきっかけがなくてねぇ。みんながやめさせてくれないんだもん!」とお茶を濁すかの2択を迫られている(誰も迫っていないけれど)人を見ると、もどかしい気持ちになっちゃうよね。

 

成仏させたい気持ち

SNSやLINE、メールで繋がることに慎重になるべきなのかもしれない──と思うことがあった。今の出来事じゃないけど。なんとなく書いて消化させたい気がするので、ダラダラと書く。

仲良くなった人が差別主義者だった

深く関われば関わるほど、嫌な部分は見えてくるものだ。それは僕も同じで、相手に「コイツうわぁ……」と思わせてしまうこともある。そこはごめん(素)

そこを加味してでも、「ここはどうしても無理やわ……受け入れられんわ」と思う事柄がいくつかあって、そのひとつが差別。

侮蔑語を使ってまで、特定国の外国人や障がい者を貶す様はマジでキツいし、LBGTQのある属性への偏見垂れ流しツイートもマジでキツいからミュートにした。

差別心も偏見も、誰の心の中にもあるものだと思うんだけど、それをむき出しのまま表に出すって行為がこの先何を招くか?くらいは考えた方がいいと思う。

プロバイダや弁護士から開示請求が届くよ?という意味ではなく、もっと根源的な意味で。

差別も偏見もなくなりはしないけど、「そんなもんに染まらないぞ!」くらいの綺麗事や理想は持ち合わせてていいんじゃねーのかなーって。

あと「差別はしないけど区別はするよ」って言葉も、自分が区別される側になったとき同じように思えるのかどうか。たぶんめちゃくちゃに文句を言うし、反差別を掲げると思うんだよね。

アグレッシブな恋愛脳の人と繋がる疲労

ことある事に、会いたい電話したい会いたい電話したい会いたいの連打で怖い。

恋愛していない自分に価値はない──と言わんばかりで、恋愛すれば救われると思っているタイプの人、なんでも恋愛に結びつけるタイプの人。

でも僕、知ってるんですよ。

他の人にも同じようなことをしてるって(震え)

なんなら僕以外の人が証拠スクショも見せてくれたから、ぜんぶ知ってる(痙攣)

アプローチの形は自由だけど、数打ちゃ当たる戦法は悪手だと思う。バレたときに、「この人wwwwww他の人にも言うてるやんwwwwww」って絶対になります。

たぶん、スクショ見せてくれた人と僕以外にもガンガン送ってると思う。

「好きな人と恋をして、愛したい愛されたい」なら理解できるんだけど「愛されたいから好きな人が欲しい、そのために手頃な人に声をかけまくる」というのはちょっとわからないです。

あと「恋人がいればしあわせになれる、安心できる」系の思考回路の人とも合いません。それって「この数珠や掛け軸があればしあわせになれますよ」的なカルトっぽい思考とそう変わらないと思うから。

そういう考えの人が恋人を作って安心したとしても、それは一時的なもので長くは続きません。瞬間的に満ち足りはするのですが、次は不足を探し出します。マジです。

他の人と比べては、「彼氏/彼女は○○してくれない、○○させてくれない」って部分を見つけては、相手にそれをぶつけるから仲が悪化する。

ひとりで期待して、相手が応えてくれないからって不安を倍増させて、モヤモヤして、イライラして、勝手に怒る。

たぶん相手に興味がないんだと思う。

本当に興味があって好きなのは、相手を通して見た自分自身。相手の反応を引き出して満足して、それでも足りないから相手に依存する。

恋人を作ることで「価値ある自分」になろうとしても、だいたい逆の結果になるのにね。

そういう負のループに巻き込まれるの本当に嫌なので、忍者のように逃げる。

反コロナの人

いろいろ割愛しますが、YouTube仕入れた陰謀論ネタを自信満々に発信してしまうのは、ちょっとなんかアレだなって思う。

ネットで目覚めた系の人

ほぼ地雷です。任天堂と漫画以外でDSという人は警戒してる。

陰謀論

僕もかつては月刊ムーを好んで読んでいた人間ですので、気持ちはわかるんですよ。陰謀論って基本おもしろいから。

映画やドラマなんかも、国家VS真実を知っている者みたいな分かりやすい対立軸になってたりしてましてね。

ついつい真実を知っている者サイドに肩入れしてしまいがちですが、実際は「え?この人なに言ってんの」となります。

そんなこんなで最近見たことをつらつらと書かせてください。

Twitterの一部で大変にぎわいを見せている「秘密のた○ら○こ」のことを。あれ?なんか秘密のたらこってうまそじゃね?

正式名称を書くと、エゴサで因縁ふっかけられそうなので秘密のたらこでいきます。

秘密のたらこは、2023年の7月末に隕石とブラックホールが落ちてきて地球が滅亡する!!と言っている集団です。

そんで地球が滅亡した後、教祖様が日本を統治して弥勒の世が始まるらしい。ただ人類の8割が死ぬらしく、助かりたければ避難村の面接を受けなければならないのだとか。

この記事を投稿しているのは8月5日、とうに7月末は過ぎているんですけど、教祖様は「あっ、忘れてたー笑😆地球滅亡は8月頭だったわー」とあっけらかんとツイートし、現在は8月上旬まで地球滅亡が延期されているのです(地球滅亡が延期というパワーワード)

7月末→8月頭→8月上旬→8月18日と少しづつズレていってて、こう言っちゃなんですがめちゃくちゃおもしろい事になってるんですよね。

エンタメ性のある陰謀論者なので僕としては嫌いではないんだけど、さすがにJAXAとか総理官邸にまでメールするのはやめた方がいいと思う。

あと最近、CHAGE and ASKAのAさんの方が秘密のたらこに触れ始めてしまったようで。SKAさん、お願いだから音楽だけを追いかけください。

あとこういう終末論にありがちなのが女性問題です。

秘密のたらこが言うには、人類がほとんどいなくなるから、避難村の女性には子どもを産んでもらってうんぬんかんぬん。そのために若くて美しい女性が必要らしい。

なんかザインとかいうセックスカルト宗教と似たようなこと言ってんなって思いました。世界の終わりとセックスは相性がいいってこと?(錯乱)

書き出したらおもしろいところがあり過ぎて全部書いたらえらいことになるので、ここら辺でやめます。

そんなこんなで今も秘密のたらこだけは追いかけてる。地球が滅亡するまでブログは書くぜ!

いない人

  大人。

  どこにでもいる大人。学校にもいるし、保育園にもいるし、病院にもいるし、駅にもいる。  いない場所が、ない。

   ぼくが怖い大人と遭遇したのは、小学校低学年のころ。

   鉄棒だったか、砂場だったか、サッカーだったか、何をしていたかは定かではないけれど、怖い大人を見たのは備品が入れてある倉庫の近くだった。

  倉庫のすぐそばには、分厚い鉄の裏門があって、知らない人は入れない。

  ぼくはそこで怒鳴られた。知らない女の人に。

  親に怒鳴られたことはあれども、まったく知らない人に意味のわからないことで怒鳴られた経験はなかったから、ぼくはその人の顔をじっくり見てしまった。

  ぼくが視線を向けたことが、彼女の怒りにさらに油を注いでしまったようで、怒鳴る声が大きくなっていく。

  彼女は、ぼくに「はしたない、恥ずかしくないのか」と言っていた。

  そのころのぼくは「はしたない」の意味は知らなかったけれど、「恥ずかしくないのか」の意味はよくわかった。

  でもぼくは何を恥ずかしいと思わなければならないのだろう。

  「ズボンの色じゃない?」と、一緒に遊んでいたマイコちゃんが言う。

  「ズボン?  なんで?」

  「はだ色だから。  ズボンを履いていないように見えるのかもよ」

  「ズボンを履かない人なんて、いるわけないじゃん」

  「たぶんあの人、‪✕‬‪✕‬‪✕‬‪✕‬なんだよ」

  と、マイコちゃん。先生が聞いたら激怒するような言葉を使う。  でもぼくも‪✕‬‪✕‬‪✕‬‪✕‬だと思った。

  女の人が門をつかみ、ぼくを怒鳴り続けている。門の中に入れるわけがない、と思うぼくと、もし入ってきたらどうしようと思うぼく。

  女の人の爪は長く伸びていて、手も荒れていた。引っ詰めた髪の毛はバサバサで、怒られるかもしれないがオニババにも見えたし、檻の中で威嚇しているマントヒヒのようにも見えた。

  ひとつ言えるのは、あの女の人は妖怪なのか獣なのかよくわからない存在だった。ぼくにとっては、人間ではなかった。

  1組のコイズミや同じクラスのトヨダだって、もう少し話はできるなと思った。すごく嫌なやつらだけど、会話は成立する。あいつら、とりあえず人間だったんだな──とぼくは変なところで納得してしまった。

  結局、女の人はぼくをはしたない恥ずかしい汚物を見るような目で去っていき、ぼくとマイコちゃんは校舎に戻った。この事は先生に言わなかったし、親にも言わなかった。

 

たまには手書きで

自分の思っていることを、誰も読まないであろうノートに、お気に入りの書きやすいペンで書き散らすのも楽しいなと思った。

それに手書きすることで、自分の中に沈殿してるものが浮いてくるし、いざ文字として書いてみると「えっ、僕の悩みってこんなもんなん?」という気持ちにもなる。

頭の中だけで考えていると巨大な悩みのようだけど、意外とそうでもない。影絵のようなものなのかも。影は大きく見えるけど、実物はそんなに大きくないっていうね。

スッキリ感が気持ちよかったから、またやろうと思う。

あと手書きで自分の気持ちを書くと、なんか潜在意識的にもいいらしい。なんとなくその感覚はわかった。気持ちが軽くなる。タイピングとはちょっと違うなーって。

 

最近、「SNSで幼稚化する人たち」みたいな記事を読んだんだけど、これ本当そうだと思う。

ニュースや漫画のコメント欄、SNSなど、他人の目に触れることが前提だから、極端な意見に走る人、暴力性を秘めた聖徳太子みたいな人、どこかの独裁者や教祖が乗り移っているような人がどうしても出てくる。

というかタイピングしているうちに盛り上がっちゃって、自分で自分の怒りにガソリンぶっかけてるようなね。

またそういう人に限って積極的に投稿したり返信したりするもんだから、収拾がつかない。

そこで僕が提案するのは手書きです(揉み手)

ノートを開き、ペンを握り、攻撃的意見なりヘイトなりを手書きしてみたらいいと思う。他人に読まれない、自分だけのページで完結することも時には大切だと思います、はい。

『不良パパ』

LINE漫画『不良パパ』もおもしろい。

死んでしまった漫画家のパパが、女子高生の娘を守るために喧嘩の強いイケメン高校生に憑依して、学校の不良グループと戦っていく話。

ちなみにパパは、漫画の取材で色々な格闘技道場に入り浸っていて、戦う技術はめちゃくちゃ持ってる人。

この漫画はテンポがよくて、ギャグパートもクスッと笑えるところが多い。

例えば、悪役が「待て!俺の話を聞いてくれ!」って主人公に言った時、大抵は待つし話も聞くけど、不良パパの場合は聞かずにボコる。なんならちょっと食い気味で殴るし蹴る。

あとメタ発言もあったり、作者さんの娘さんが描いた子どもらしいイラストもスっと挿入されていたりして、ハチャメチャでいい。

ただ韓国の原作を日本版にローカライズしてるせいか、若干「ん?」と思うシーンはある。無理に日本名に直さず、韓国名のままでもいいと思うんだよなぁ。ていうか韓国語が読めるようになってきたら、韓国版も読んでみたい。